阪神淡路大震災の記憶を忘れないために
神戸市灘区にある 人と防災未来センターに行ってきました。
今は、芦屋に住んでいますが、神戸市灘区には、25年間暮らしていました。
人と防災未来センターの北側のショッピングモールやシネコンには
昔からよく立ち寄ってた場所なのに、ここには行ったことがなかったのです。
H29年から毎月17日は無料開放されているので、ずっと行きたいと思っていました。
仕事でなかなか行けませんでしたので、やっと行くことができました。
まずは、外の壁面には、南海トラフ巨大地震の最大津波高の想定
高知県黒潮町 34.4メートルの垂れ幕が・・・
わかりにくい写真で申し訳ありません
引きでは、この高さです。
もし、本当に30メートル級の津波が押し寄せてきたら怖いですね
阪神淡路大震災の再現映画がありましたが、実際に体験した私には
オープニングの音楽や、映像が、例えば、ゴジラ映画やSF作品映画のようで
ちょっと不満でしたね。
あんなにすぐに、ビルディングが、爆発したように、壊れていくのが本当かしらと思って見てました。
きっと何十秒も揺れているはずなのに・・と思ってしまいました。
語り部さんのお話しは、当時 コープこうべの食品関係部門にいらした方でした。
最初の3日間の食料不足の実話は、びっくりしました。
菓子パン一つが、4人家族の3日分の食料だったそうです。
私も同じ灘区で被災しましたが、六甲山の南斜面を切り崩した造成地で
岩盤に守れて、被害が少ない場所でした。
又、六甲山トンネルも無事だったおかげで、夫と小5の息子は、マイカーで六甲山を超えて買い物に行くことが出来ました。
六甲山の北側の神戸市北区や三田市は、被害もなく、全く平常通りの生活があり、食料品も普通に買うことができました。
それらを、食べていた私たちには、想像できなかった現実があったのですね。
それは被害の大きな地域では、スーパーの食べ物を略奪などがあったそうです。
語り部さんもその光景をまじかで見て、注意をしようとして出来なかったこと・・
それがずっと嫌な記憶だったそうですが、9年前に、ある学者さんに あの時のあの行為は
【超法規】だったんだと助言を言われて、気が楽になったそうです・・・
きっと生きていくために、仕方がない行為だったのでしょうね。
阪神淡路大震災の教訓から、災害時の初動が今は、よくなっていますが
本当に当時は、防災や減災や備蓄の習慣もなく 神戸は地震はないと思っていたぐらいですので
本当に 被災者も行政もなすすべもない状態でした。
これからくるかもしれない 東南海トラフ大地震、巨大津波がくるかもしれないですが
できる努力は、備蓄することだと改めて思いました。